【次女の青年前期(中学生)〜起立性調節障害、頭痛、アトピー性皮膚炎寛解〜】
【次女の学童期〜】の続きです。
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娘達の症状の経緯が、沢山の方のヒントになることを願っています。
心と体でお悩みの方、お気軽にご相談くださいね。
小6で副腎疲労を発症した次女は、やっとの思いで小学校を卒業し、長女と同じ私立中学へ入学しました。
女の子しかいない仏教校であったため、地元の中学より穏やかに過ごせるのではと考えての中学受験でした。
ですが、5月のゴールデンウィークが明けたあたりから、毎朝の登校を辛がり始めました。
また、少しずつアトピー性皮膚炎が出るようになっていきました。
腹痛も時折あり、学校で湯たんぽを使わせてもらっていました。
友達との関係は程よいスタートを切れたのにも関わらず、です。
通常なら、友達関係と学力がそこそこならば、学校は少々退屈で辛いことがあったとしても楽しいところであろうと思われます。
しかし、様々な症状が息を吹き返したのは『我流で自宅療養をし、治す休養を取らなかったから』に他なりません。
娘も中学生なら周りも中学生、心の摩擦は当然のようにあります。
ですが、どう贔屓目に見ても、愚痴と頑張り過ぎ行動が多かったのです。
担任の先生にも『娘さんは限界を超えてるのにまだ頑張ってはいませんか』と言われるほど、学校、生徒会、部活とフル回転でした。
これは今だからこそ分かることですが、
次女は、細胞の炎症があり、体内常在菌のバランスを崩し、セロトニン低下を起こし興奮系の脳内神経伝達物質過剰になっていました。
このような体調になると、親の忠告は耳に入りません。
行き過ぎた行動や愚痴が止まらなく、いえ、止まれなくなるのです。
頭痛が定期的におこるようになり、常備薬の痛み止めが猛スピードで無くなり、生理痛も重く寝込むこともしばしば、体は細いのに脚の浮腫みだけが強くなっていきました。
そんな娘をサポートする為、片道1時間かけ毎朝学校まで車で送っていきました。
海外では子供の送迎は普通だと自分に言い聞かせながら。
次女は今でも言います。
『以前は半端じゃなく体が怠かった』と。
これは親が体感できないものであり、気持ちを分かってあげる為には体のシステムを学ぶ必要がありました。
子供の体調を理解すること。
これなくして『今、子供に対して適切なサポートは何か?』を見極めることは難しいと思うのです。
甘やかしではなく、厳しすぎることもない丁度いいサポートは、子供の自尊心を育みます。
私達親にとって一番必要なことなのかもしれないと、自戒を込めて当時のことを思い巡らせるのです。
もちろん、親の話がすんなり入る年頃だとも思ってはいません。
何といっても、思春期に入るわけですから、親や友達と異なる自分独自の内面の世界があることに気づきはじめる時期でもあります。
自意識と客観的事実との違いに悩み、様々な葛藤の中で、自らの生き方を模索しはじめていました。
また、大人との関係よりも、友人関係に強い意味を見いだすものですから、親の忠告はほとんど耳に届かずでした。
しかし、思春期だからと一括りにはできず、娘が必要とする愛情を与えられていなかったからということでもあります。
愚痴は多くても楽しそうに学校に行っていたため、体調不良は大人になるにつれ楽になるだろうと楽観視していました。
一時の楽観視は家族にとって必要な時間でしたが、次女の花の高校生活を苦しいものにさせたものは、やはり副腎疲労でした。
頭の片隅にあった体への不安は、忘れた頃に波のように押し寄せます。
そんな体調の中でも、中高一貫の中学から芸術高校へと転身し、高校から専門分野に進むことを決意したのでした。
より感受性の豊かさが求められる芸術の世界へと。
〜お知らせ〜
次回のブログで最初に寛解した次女の経緯、青年後期(高校時代)を載せていきます。
次女についてのブログは次回で終わりとなります↓🌿
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