【長女の乳児期〜最重度の副腎疲労、脳のシステム障害大幅改善〜】
次女のアトピー・起立性調節障害寛解を経て、最重度の副腎疲労の長女の経緯を綴っていきます。
前回のブログ、【次女の青年後期(高校生)】はこちらをチェック😊↓
https://counseling-amoretto.com/blog/1119/
娘達の症状の経緯が、沢山の方の改善のヒントになることを願います。
心と体でお悩みの方、お気軽にご相談くださいね。
22歳になった長女は、安産で生まれてきてくれました。
6ヶ月頃からだったでしょうか。
音への敏感さがあることに気がつきました。
赤ちゃんはそんなものだと思って気にしないようにしていましたが、ちょっとの物音にも反応する子供でした。
成長はほどほど順調で、ハイハイもお喋りも通常より少し早め、ただ、色んなことを敏感に察知できる不思議な一面を持っていました。
おんぶができるようになってから気がついたことですが、私がイライラしていたり、体が辛かったりすると、おんぶされたままギャンギャン泣きました。
私は驚いて、背中の長女に『気づいちゃった?ごめんごめん』と喋りかけていたのを思い出します。
いくら胎内にいたとはいえ、母子という関係はこんなに深く繋がれるものなのかと深く感心し、同時にこの子は察知能力に長けているのではないか?どんな大人になるんだろう?と、成長が楽しみでもありました。
一歳前から歩き始め、言葉の発育が早く、絵本と料理に強い関心を持っていました。
この子の才能はここにあると思い、読み聞かせをたくさんしていました。
多い日には一日30冊以上絵本を読みました。
私は私がしてもらいたかった絵本のある子供時代を、娘に味合わせてあげたかった。
絵本の読み聞かせは私を癒すものでもありました。
外遊びをするようになった頃から、室内に差し込む光を眩しがるようになりました。
泣いて嫌がるため、天気の良い日は朝からカーテンを閉めて過ごしました。
何でだろう???と不思議でなりませんでした。
夫も私も近視、遺伝のせいで視力が上がらないのかもしれない!いや、結膜炎かもしれない!と、眼科を受診。
しかし、結膜炎でもなく、幼いが故に正しい視力も測れず、3歳児検診まで様子を見ましょうと言われました。
その検診までの間、外に出たと思ったら自宅の目の前で転んで怪我、家に戻って処置をすることが多く、必然的に外遊びは少なめになりました。
家に戻ると光が眩しくカーテンは閉めたまま、私や夫の両親からも、何でこんなに敏感に育てたんだ?と言われているような空気を感じていたため、当時新米ママだった私は切ない気持ちを常に持っていました。
その後、3歳になり検診で言われたことは、『近視』があるということだけ。
納得がいかないこともあると自分に言い聞かせ、子供用メガネを作ることに。
外出したてで転ぶことがなくなりました。
よく転んでいたのは見えてなかったからだったんですね。
しかし、音や光への敏感さは変わらずでした。
これはいったい何だったのか。
娘は『感受性が強く生まれてきた』からでした。
感受性が強いとは、目・鼻・耳・口・皮膚・粘膜・第六感感覚が敏感だということ。
長女には特にスキンシップが大切でした。
それもお母さんとお父さんからの愛情あるスキンシップが。
絵本を読むことは情操教育としてとても良かったのです。
しかし、安心安全な環境を与えてあげることが一番大切だったのだと、重度の副腎疲労になった長女を見て振り返るのです。
このようなお子さんには、導き手が必ず必要です。
導き手さえあれば、お母さんは不安にならずイライラが減り、自分を責めることがなくなります。
川本療法は、心も体も治療ができる素晴らしい治療法です。
〜お知らせ〜
次回のブログで長女の幼児期(幼稚園)を載せていきます🌿
長女は22歳にして壮絶な人生を経験しているため、細かく書いていきます。
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