批判の言葉
いつも読んでいただき、ありがとうございます☺️
今日は、【褒められるより批判される言葉にこそ、自分の真の姿がある】というお話しです。
私たちは言葉で簡単に傷つくことができますよね。
どこまでも深く傷つき、自分を追い詰めることもできます。
しかし、安心安全な場がいつも用意されている訳ではありません。
褒めてくれる人達ばかりではなく、時には胸に刺さる言葉もあります。
私は約10年前、年配の男性からの言葉にショックを受けました。
『生意気だね。それではこの社会で勝ち残れない。』と。
すぐさま取り繕った言葉が、私の口から出てきました。
『強がらないと、生き続けられませんでしたから』と。
今思えば、これも生意気です。
この年配の方は、仕事で知り合った方なのですが、身なりも立ち振る舞いも粋な方でした。
そんな方が柔らかく微笑んで『生意気』と言うのです。
この時、私は真剣に考えました。
私を傷つけても何の利益にもならないのに、何故?
私はそんなに生意気なの?と。
これは批判の言葉として受け取れば、いくらでも卑屈になれます。
しかし、人として更に向上しなさいと受け取れば、これほど有難い言葉はありません。
世の中の基準として、マイナスイメージの強い言葉は御法度になっています。
叱られる経験や、厳しいことを言われる経験を減らして良いのでしょうか?
批判の言葉がなければ、気づかないことがあります。
いえ、自分で何となく気づいていても直せないことがあります。
もっと言えば、気づいただけでは成長することが難しいのです。
愛のある批判の言葉ならば、受け入れていきたいと思うのです。
ここに愛はあるか?
今日も自問自答した1日でした。
読んでいただき、ありがとうございました🍀
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