【しあわせ・幸せ・仕合わせ】
私の父は今日どんな幸せがあったかを話してくれます。
父は78歳で、仕事をしたとしても週に3日程度。
雪国に住んでますので冬場はほぼ働きません。
しかも一人暮らしなので自分から出掛けていかないと『幸福感』は得られにくいわけで。
そんな父が『今が一番幸せだ』と言います。
『しあわせ』を『幸せ』と書くようになったのは明治期以降。
それまでは中島みゆきさんの『系』の歌にもあるように『仕合わせ』と書いていました。
『仕』とは使えてる事柄。
『合わせ』とは人と会うこと。
つまり、誰かと何かを一緒に行うことことが『仕合わせ』です。
いいところに就職できたら、結婚できたら、彼氏や彼女がいたらという言葉こそが呪いのようであり、よいところに入らなければ、結婚できなければ、彼氏や彼女がいなければ幸せになれないなどというものではありません。
幸せとは名詞ではなく動詞です。
状態ではなく行動です。
出かける予定があるとか、何か外に出て行動することが既婚・独身に限らず何歳になったとしても全ての人に大切なことになります。
ただ、これは趣味がなくてはならないとか、どこかの団体に入ろうという意味ではありません。
買い物に行ったり散歩をしたりフラッとカフェに入ったり。
外に出れば電車に揺られたり見知らぬ広告を目にしたり、誰かに道を聞かれるかもしれないし、ベビーカーの赤ちゃんがジッとこちらを見つめてくるかもしれません。
嫌な匂いを感じたり苦手な雰囲気の人のそばにいるだけで疲れたりすることもあるかもしれません。
この延長線上に一人旅があります。
旅先で出会った人と何気ない会話をするかもしれないし、風景を撮りSNSにアップすれば見知らぬ人との交流が始まるかもしれません。
これからの時代、所属する場所は減っていきます。
会社にはいつまでもいられないし、地域コミュニティも期待はできません。
家族だってそう。
でも減っていくからといって不幸でもありません。
各自が接続するコミュニティを持てばいいからです。
趣味の会、町内会、何かの団体じゃなくても、外に出て行動し、誰かと言葉を交わすだけでコミュニティに接続できた、と考えればいいだけです。
これは都会でも田舎でも同じです。
出掛けていく場所を多く作ること。
人と接続する場所を多く作ることが『仕合わせ』を感じる機会が増えることに繋がります。
個人個人の仕合わせが集まった社会が、幸せな社会なのだと思うのです。
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